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第一章 「存在と無」~ドゥルーズの出来事の理論と西田的絶対無3。演算としての無の作用

これから、前回でも少し触れた、無の作用についてお話ししましょう。

田邊元的な言い方をするなら、有と無は、対立を媒介することで即応します。対立は繋辞であり、いわば生成の論理における演算項です。ここで、否定作用と否定内容の区別をしましょう。無が実体なき作用だとするなら、否定作用は内容として有をもてば、それで否定は成立しています。しかしこの成立した否定は全く静的なものであり、これだけでは何も生まないのです。否定作用自体は当然内容を持たないから、有に作用して、「有がー無いこと」としての、虚無の場を、表象ないし予想するだけです。
しかし注意したいのは、この表象された「有が―無いこと」としての虚無の場の位相は、前回述べた根源的なケノンとは違う、ということです。あくまで表象は、一次元下のレベルにあります。

しかし、こうも考えられます。有を否定したとき無が生まれるといったごとき有と無の二項関係以前の、演算としての否定を考えます。、小さな否定は有の差異化であり、大きな否定は、その有の対立物を表象する。

この二点を総合しましょう。
「有が―無いこと」という場、空間において、否定された当の有の差異化もしくはその対立物が表象される。
有がー無いこと、が、有の周辺に、有の差異を、つまり陰影のごときものを、つまり中心的有から流出したがごとき様相を呈することになります。この差異化は、陰影のあるあらゆる部分で行われ続けるとすれば、有は無限のニュアンスで自己肥大するが、同時に己の内部に陰影を作り、不均等になって、中心であった絶対有は中心から逸れ、むしろ穴と化します。トーラス、ドーナツ化ですね。

それでーあることを否定し、否定の度合いが小さい場合には、別様にーあることを提示・表象し、否定されたものがそれを承認し、己をそれに移すこと。

今回は、無の否定作用を演算として捉えてみました。
そして、次のような形而上学的フィクションで締めくくります。演算それ自体では直接的項を持たないから、演算自体を項として借定し続ける。小さな否定による演算の自己差異化は、あらゆる変化の形式を生み続ける。体系も統一もなしに、変化の形式が互いを変化させ続ける。それは、形式世界であり、あらゆる内容と形式の一致以前にある形式のアプリオリな集合です。

そして、差異とは超越的パラレリズムにおいて何かといえば、差異は己の内に演算をもつ実質である、ということになります。
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