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実存者と純粋同一性の違い

今回は、実存者と純粋同一性の違いについて簡単に書きます。

【実存者の「実」】
実存者は、歴史内存在的に在ることで、己の実性を世界の実性に預け、安心することはできる。しかしそれは、実存的なものとしての歴史的世界の内存在ではあっても、従って自ら実存的ではあっても、世界の外部、超越者を志向するような真なる実存者、壊れやすくその実を己で担い、崩壊を一瞬一瞬堪えているような実存者でない。崩壊の常なるリアリティに堪えているのは、この場合世界の方である。世界に無の点が内在する、とは、世界が関係=差異、つまり場所となることであり、それにより存在者は、場所において実でありつつ、己に固有の抽象的対象を世界の外に措定することができる。それが、共同体からの、主体的自我の成立である。

つまり実存者とは、純粋同一性と違い、自ら可変的な内容を持つ実体である。従ってその主体的実性は超越的内容を媒介変数とした関数の値である。また存在論的レベルにおいて、可変的な内容を持つ抽象的対象(抽象的ノエマ)を、その志向対象とすることで、抽象他者と相関しつつ、抽象他者を実たらしめることで、己の実性が、つまりその内容が可変的であるにも拘らず実性をもつことが可能なのである。抽象他者を実たらしめるとは、既に己の思考の枠組みを制約しており、その志向の枠組みにおいて抽象他者の抽象性を剥ぎ取った、ということである。


【純粋同一性の「実」】
他方で、規定されきった全体性、時間の全体性は、純粋同一性の絶対差異による自存から語られねばならない。この絶対差異とは、純粋同一性の内容でありつつ純粋同一性の絶対他者、絶対異質である。それはまた、投げ出された存在者としての、原要求、己の実性の不断の要求にも求めることができる。この存在者は、己の実を、絶対差異としてもっているが、己の実を己で支えなければならない。己の内容としての絶対他者を、常に対象とすることで、その実体性は維持できるが、そのことで己の内容以外の対象を持つことができない。つまり、抽象他者をもつことができず、常に己自身の内容を参照することでのみ、己の実性を保っている。

次回は純粋同一性と時間との関係について語ります。

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