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第一章 「存在と無」~幾何学の問題―内部高次元と貫入の論理 1

ここから数回に分けて、幾何学的対象の話をします。
その対象は、2種類あって、一つが内部高次元(ドゥルーズや田邊の多様体を想起される方もいるでしょう)、
もう一つは、貫入の論理です。特に貫入については、重大な帰結がいくつも導き出されますから、丁寧に回を重ねます。
今回は、内部高次元について。

実際に、幾何学的な内部高次元を考えてみます。
ある平面A上の、平面Bを考えます。B が、Aの単なる部分である、ということから脱して、Bがそれ自身でなにか意義を持つような(従ってそこではAとBとの関係が変化するような)、別の平面においてもまた、Bという同一性を保った形象をもつ(Bは、複数の形象をもち、それが別平面間で重ね合わせられる)。つまり、Bが、第一平面におけるのとは別の、Aとの関係(第一平面からはどうやっても帰結しない関係)を持っているとき、それら複数平面におけるAとBとの関係を、統一的に表したいとき、複雑な超幾何学的形態となります。
 例えば、AとBとは、一つの関係(特に空間的位置関係)しかない、ということは、無いでしょう。それがCを介して得られる幾何学的に広がった領域における AとBの関係(二点を結ぶ直接的距離でなく、ある原点を要請)もそうであるし、二点の様々なイマージュ的で直接的な距離や、Cを介した形態内の位置に関する関係、またAがそれ自体イマージュとして、そのイマージュに関してBを包摂する関係など(自らイマージュであるとは、その内部にメンバーを包摂する、ということ)。
このレベルですら、A内部のB、Aを構成する粒子とBを構成する粒子とは、異なるのです。
超幾何学的形態における断面図、つまり混合の只中の様態において、AとBが重なっている場所は、Aの粒子とBの粒子とが、混じり合って多様な運動をしていることでしょう。

ちなみに、上で私が安易に使ったイマージュという言葉は、ベルグソン的な本来の意味を無視して使っているので、私の定義を
いうと、それはある性質を持った微小な実質を包摂する、閉じた全体性です。現代論理学に出てくる集合に近いでしょうが、
またその場合、性質が内包、微小な実質とやらが外延となるでしょうが、その微小な実質が、この集合内部をアナーキーに
運動し、また集合は、集合毎にそれぞれ微小実質に別のルールを課しています。

一例をあげると、ドゥルーズのベルグソン論にある、精神的なものと物理的なものの混合がアクチュアルな現実である、
というような言い方がされた時、私はその主張の中の「精神的なもの」及び「物理的なもの」を、私の意味でのイマージュと
捉えます。

これは以前、私が哲学史的意味でのイマージュという概念の正確な意味に対して無知であったから、勝手につけた規定かもしれません。すると、イマージュと呼ぶこと自体に問題があるのかもしれませんが、私は既に反アカデミズムの立場に立っているので、
細かい用語法の問題だと思ってください。いずれにしろ、内部高次元の発想は、私がまだドゥルージアンであった時期でも
さらに古いものであり、この発想を体系にいかに組み込むか、については、課題はあるでしょう。

次回は、今回AとBとで呼んだものを、空間と意味とに置き換えて、それらの混合からなる現存在を定義します。
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